絵本文化推進協会
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スペシャル対談「中井貴恵さんにお話をうかがう(前半)」

NPO法人 絵本文化推進協会
理事長 小峰紀雄

中井貴恵さんは、女優業やエッセイストとしてご活躍されるだけでなく、読み聞かせ活動を18年間続けてこられ、幼稚園や小学校で行われたボランティア公演は1250回以上。そうしたご経験から、活動のヒントになることもたくさんあるのではないかということでお話を伺うこととなりました。お話をお伺いするのは、NPO法人絵本文化推進協会理事長の小峰紀雄さんです。

絵本の中に"私"を見つけた時、
私は"母"になった

中井:私自身の絵本体験は、それほど恵まれたものではありませんでした。小学1年生のときに父が亡くなって、同居していたおばあちゃんにもっぱら本を読んでもらいましたが、「うらしまたろう」とか、「かちかちやま」とか、そういった類の本しかありませんでした。
でも、とにかく「つるのおんがえし」は好きでした。何回聞いても「もう1回、読んで」とせがんだりしました。機を織り出したころから、すごく胸がどきどきするのですが、かならずそこで、おばあちゃんが眠ってしまって...(笑)。ここからがいいところなのにというところで、おばあちゃんが眠ってしまったという思い出のおかげで、私は「つるのおんがえし」が好きなのですが...(笑)。
私が読み聞かせを始めたのは、1冊の絵本との出会いがきっかけで、それは、もりやまみやこさんの本でした。

小峰:どのような本ですか?

中井:『つりばしゆらゆら』という本です。
2人の子どもを絵本で育てましたが、母親の仕事というのは、学校で教わるものでもないし、毎日が実体験です。子どもがどんな本が好きなのかもわからないなか、先輩ママたちが「この本は、子どもたちがみんな好きだから」と言って10冊くらい本を贈ってくれました。そのとき、うちの子はまだ小さくて、本当にこんな難しいものを、いくつになったら好きになるのかしらと思っていましたが、ほどなくどの本も好きになりました。
『かいじゅうたちのいるところ』とか、『ぐりとぐら』とか、『スーホの白い馬』とかです。定番ですが、どの子も好きになる本の通り道というか、そうした魅力がある作品です。
でも、その当時、私は、何のために子どもに絵本を読んでいたのかというと、とにかく1分でも早く子どもを寝かしつけるために読んでいたのです。ですから、ものすごく雑な読み聞かせを毎日していて...。でも、子どもは1冊読み終えると「もう1冊、もう1冊」と目が輝いて、私は全然寝られなくて...。

小峰:おばあちゃんみたいに眠くなって...。

中井:そうです(笑)。
でも、そのときは、子どもが「もう1回読んで」と言って、もってくる本の、どこが面白いのか、全く理解できませんでした。ところが、長女が5歳の誕生日ときに、私の幼稚園の担任の先生から、「お誕生日おめでとう」と贈ってくれた本が、もりやまみやこさんの『つりばしゆらゆら』だったのです。それまでは、いわゆる絵本を読んでいたのですが、この本は、背表紙がちょっとあって幼年童話の類でした。

小峰:幼年童話ですね。

中井:小学生が読むような本で、5歳の子どもにはちょっと難しいかなと思いました。パラパラとなかを見たら文字数も多いし、絶対に読んでいる途中で寝ちゃうだろうなと思って、読み始めたのですが、なんと私が夢中になっちゃって...。
でも、かいつまんでいえば、それほど面白いお話というわけではないのです。
冒険するわけでもない、山坂があるわけでもない、ただつり橋を行って戻って、少しずつ歩みを進めて、最後に渡れるのかといえば、渡れないまま物語は終っていて、まったく物語としての、セオリーをなしていない。だけど、私は、物語に登場する「こんすけくん」という主人公に、幼かったころの自分をすっかり重ね合わせてしまったのです。
つり橋を渡るはずだったのだけれど、途中で友だちに見つけられて、会いたい子はむこうにいるのだけれど、結局、渡るのをやめてしまう。「真ん中まで行ったから、もうちょっとだね」、「明日は渡れるね」といって、応援しながら読んでいたのに、結局は渡れないで終ったときに「ああ、自分もこういう経験をいっぱいしたなあ」と気づいたのです。
大人に「頑張れ、頑張れ」と言われて、いろんなことやったけれど、橋をむこう側まで渡るように、最後までできたことがいくつあったのかなと考えたら、全部できたことのほうが少なかったかもしれない、そう思ったのです。
「こんすけくん」も、もっと日にちがあれば渡れたかもしれないのに、友だちに見つけられて、自ら渡ることをやめているわけです。でも、それは、本当はやめたくなかった。私自身も、自分はやめたくないけれど、何か理不尽な力で、やめざるをえなかったこともいっぱいあったな...と思ったとき、もう涙が止まらなくなってしまいました。同時に、隣で聞いている5歳の子も、こうした経験をいっぱいして大人なってゆくのだろうな...と思ったのです。
ふと横を見たら子どもも泣いていて「あなた、なんで泣いているの?」と尋ねたら、「一生懸命、毎日行ったのに、なんで、こんすけくんはつり橋を渡れなかったの? 会いたい女の子に会えなかったの?」と泣いているわけです。

でも、私は、この子もこういう思いを重ねて大人になってゆくのだろうな、と思ったのと同時に、この子は、まだ5年しか生きていないのに、私はこの子に何回「頑張れ」と言ったのかなと思ったのです。
幼いときから、「おしっこに行きたくなったら頑張ってお母さんに言いなさい」、「お弁当を残さないように頑張って食べなさい」、「幼稚園に行ったら、頑張ってお友だちと仲良くしなさい」といった具合に、何回、この子に「頑張れ」と言ってきたのか。「あなたは、大人に頑張れと言われていくつできたの?」、「最後までできたことは何回あったの?」と、この作品を読んであらためて自分自身に問いかけたわけです。
そして、そのとき、私は、すごく背中をたたかれたような気がして「そんな肩肘張って子育てしないで、もっとゆったり子育てしなさいよ」、「あなたがちゃんと大人になったように、あなたの子どももちゃんと大人になるから、頑張れ、頑張れ、と言わないで子育てしなさいよ」と、この作品に言われているような気がしたのです。

私を読み聞かせに誘った
美しい日本語の絵本

小峰:お話を伺っていると、5歳には5歳なりに、独自の世界を生きているということを感じます。

中井:私にとって、もりやまさんの作品に出会ったこともそうなのですが、長女とこうした時間をもてたということが人生の宝物なのです。「貴恵さんは、毎日、お嬢さんに読み聞かせをしているから、お嬢さんは、情緒豊かに育たれたのでしょうね」とみんなには言われるのですけれど...。(笑)

小峰:そうじゃないのですか?(笑)

中井:私はそうは思っていなくて、何が私の宝物かというと、長女とこうした時間をもてたこと、その間に本があったということで、それがなかったら私は、今、こうした活動はやっていないと思います。

小峰:すばらしいことですね。もりやまさんがお聞きになったら、そうだそうだとおっしゃるかもしれませんね。

中井:私は、自分と同じ思いのお母さんやお父さんが絶対にいるはずだと思って、手始めに「きつねの子シリーズ」を全て読みました。そして、一体、この作品を書いた人は、どんな人なのだろうと思って調べてみると、私の母と同じ年で、絵を描いている、つちだよしはるさんは、私と同じ年だということがわかりました。
お二人の親子ほどの年齢差が、この「あったかい世界」を作っているのではないかと思って、私は、すぐにもりやまさんに手紙を書いて、読み聞かせの会をやりたいと伝えたところ、どうぞお好きなようにやりなさいと快くお返事をいただきました。それで、今の読み聞かせの会を立ち上げることになったのですが、ちょうど子ども読書年だった2000年くらいのことでした。

小峰:もりやまさんの本に出会ってからすぐに、今のような活動を始めようと思ったのですか?

中井:まず自分が読んで、人に聞かせたいと思いました。でも、音楽は絶対に入れたい。物語の世界を音楽で立体的にして、人に伝えるというのをやりたいと思っていたところ、すぐに音楽を一緒にやってくれる人が出てきたのです。音楽と朗読だけで幼稚園などを回ろうとしたのですが、園児は、絵がないと飽きるだろうなと思い、大きな絵本をつけてみました。『つりばしゆらゆら』から始め、「きつねの子シリーズ」を作りました。さらには『おはなしぽっちり』も。
私は、この作品が大好きで、大きな本にはせずに、ピアノと語りで行ったのですが、1曲にぴったりお話がのるのです。400字詰め2枚くらいですよね。3分くらいの楽曲にぴったりの作品でした。

小峰:『おはなしぽっちり』は、はる・なつ・あき・ふゆのお話ですね。

中井:もりやまさんの作品の魅力は、日本語だと思うのです。本当に美しい日本語で、口語では使わないような言葉がたくさん出てくるのですが、子どもは耳で聞いていながら、どういう意味だとは絶対に尋ねてこない。今、読んでいてもすごいなあと思います。
他の作家の方だと、目で読んだときと声に出して読んだときはちょっと違うので、ここは「が」より「を」のほうがいいのではとか思うのですが、もりやまさんの作品は、一字一句そのまま読んでいてもとても心地よいですね。私自身にとって、本との最大の出会いは、長女を通して出会った、もりやまさんの作品だったわけです。

小峰:「つるのおんがえし」も大事な本ですよ。

中井:そうそう(笑)。ただ、あれは私の原点といったものです。人生を変えるほどの出会いではなかった。『つりばしゆらゆら』は人生を変えるくらいの出会いでした。

読書が上手くできない子もいる。
でも、それでいい

小峰:朗読は、一種の読書ですね。

中井:そうですね。2000年ごろ、学校を回りだしたときには、子ども読書年だったので、国と学校をあげて「読書、読書」と言っていていました。

小峰:そうでしたね。民間では、「子ども読書年推進会議」をつくり、「子ども読書年」の活動に取り組みました。政治や行政と協働し、多くの事業を進めました。読書推進と読書環境をつくるのが、目的でした。その活動の始まりは1993年の「子どもの本との出会いの会」の創立でした。

中井:学校に行くと、それぞれの学校が「うちの学校では、こういうことやっているのですよ」と言うわけです。朝の読書運動とか...。

小峰:朝の読書運動は1988年に始まりましたが、現在でも、多くの小・中・高校で継続されています。

中井:校長先生が「うちの学校の子どもたちは、自分の背の高さほどの本を読みます」とおっしゃるのを聞いているうちに「でも、本を読むのが嫌いな子も絶対にいるだろうな...」と私は思いました。「みんな読書が好き」というのが先生の自慢だから、読書が嫌いな子が「おいてきぼり感」を感じているのではないかと思ったのです。
それで、講演の前に「本を読むのが好きな人?」と子どもたちに問いかけました。すると、「はーーーい」と手を上げるわけです。でも、よく見ていると中学年より上の子は手を上げないのです。不特定多数の問いかけに対して反応しなくなる年齢が、ちょうどこのぐらいで、好きでも嫌いでも反応しない。「あなたはどう思うの?」と聞かないかぎり反応しなくなるのです。
でも、もうちょっと聞いてみたら、読書が嫌いな子がわかるだろうなと思って、逆に「本を読むのが嫌いな人?」と聞いてみることにしたのです。そうしたら、そのころは、「読書が好きな子=いい子」で、「読書が嫌いな子=だめな子」なわけです。だから、正直な子は手を上げたあと、先生の顔を見て慌てて手を引っ込める。そのとき「あ、これはいけないな」と思って、「読書が嫌いだっていいじゃない、だって算数が好きな人だって嫌いな人だっているじゃない。読書が嫌いだって全然おかしくないから、手を上げてごらん」というと、バーって手が上がったのです。こんなにいるのだと驚きました。そこで「本を開いて、文字がバーと並んでいたら、それ見ただけで「あー、読むのが嫌だ」と思う人?」と問いかけてみると、さっきの2倍くらい手があがりました。
続けて「文字が漫画のなかに入っていたら、何冊でも読める人?」と聞くと、さらに倍くらいの手が上がりました。「何で漫画だと読めるの?」と聞くと、「だって絵があるじゃん!」と答えるわけです。
子どもたちは文字も読めるし、お話も好きです。でも、文字だけの本を読むのが苦手な子というのは絶対にいるのです。実は、私もその1人なのです。すごく文字を読むのが遅いのです。周りの人が10ページ読んでいるのに、5ページしか読めない。だから、文字を読むのが面倒くさいという気持ちもすごくよくわかる。
本を読むのが好きな子は、文字を読みながら頭のなかでイメージがどんどん描けていて、例えば〇〇という登場人物がいたとしたら、パッとその顔が描けると思うのです。でも、歌が上手に歌えない子がいるように、読書が上手くできない子もいるし、いてもしょうがないと思うのです。 であれば、私たちは、そうした子どもたちを応援しようと思ったわけです。「私が読むから聞いてよ」という具合に。実際、「自分で読むのは嫌いだけど、人に読んでもらうのは好きっていう人いる?」と尋ねると、けっこうバーッと手が上がるのです。
でも、大人は「あなたもう5年生でしょ、自分で読みなさい」と言うので、「じゃあ、読書をやめちゃおうかな」となるわけです。だから、「読んでもらって聞く物語と自分で読む物語は、全く違う印象で心のなかに入ってくるのだから、人に読んでほしいということを恥ずかしいと思わないでね」ということを必ず子どもたちには伝えています。
私たちにとって、何が大切か、何がうれしいかというと、このお話を聞いて、何か心に感じてくれることなのです。何でもいいから、心に感じてほしい。そう思ってお話を読んでいます。

小峰:口から耳へというのは、伝承世界ですよね。そのような基礎経験が、子どものことばの獲得や感受性を育む大切な要素になると思います。「つるのおんがえし」は昔話ですから。わたくしも小さいころ母親から昔話をいっぱい聞かされました。椋鳩十さんもエッセイのなかで、自分を作ったのは、囲炉裏端とおばあちゃんの昔話だったと書いておられました。

聞くことも読書なんだよ
~大切にしたい読み聞かせの世界~

中井:どんな人でも最初は、誰かの声で物語を聞きますよね。はじめから文字で読むということはできないわけですから。私は「聞くことも読書なんだよ」ということを、絵本文化推進協会のみなさんにも広めていってもらえたらと思います。

小峰:私も朗読は読書だと思っています。

中井:私は、大人が子どもたちに「もう、5年生でしょ。自分で読みなさい」などと言ったりするのはやめてほしいと思っています。だいたい中学年を境に本が嫌いな子が増えるのも、そのころまではお母さんも子どもたちに本を読であげているからだと思います。私もそうでしたけど、そのあとは読まなくなる。そうなると、子どもたちも本を読むのを面倒だと感じてしまう。

小峰:そうだとすればとても残念なことですね。

中井:読書から離れるか、もっと読むかのどちらかです。経験上、小学校1・2年生というのはみんな読む。

小峰:中井さんの読み聞かせの世界は独特ですよね。本があって、朗読があって、音楽があってという、ひとつの舞台芸術のようなものでありながら、読み聞かせの原点のようなものをきっちりと表現の場所として確保している。ところで、読み手のことを出版社では読者といいますが、読み聞かせの会では、聞き手の方のことは何と呼んでいるのですか?

中井:何て言いますかね...。

小峰:音楽ではリスナーなんて言いますけど、読み聞かせの場合、本を通じて共有の場所があります。聞いているだけでなく五感を働かせて、体全体を受け取っている。こういう人たちを、中井さんは、どう呼んでいるのか興味があったのです。ちなみに、読んでもらっている子どもたちは、中井さんのことを何て呼んでいるのですか?

中井:おばさん(笑)

小峰:そうですか(笑)。ふさわしい言葉がなかなかないですね。読み聞かせには、与える・受け取るという一方的な関係ではなく、読書の世界を共有するという特質がありますね。

中井:読みきかせの会では、私たちは全員が黒子っていうことになっています。ピアニストも、絵本を操作する人も、読む人も、なるべく聞き手からは見えないようにしています。みんなに見てほしいのは絵本だけです。ピアニストは見えなくてもピアノの音だけが聞こえれば、読んでいる私は見えなくても声だけが聞こえればよいのです。だから、私たちは、みんな真っ黒な洋服着てやっています(笑)。
本当に、絵本と、声と、音楽だけでできた世界を見ていただければというコンセプトです。3つが立体になって皆さんのところに届きます。ぜひ一度見にきてください。

中井貴恵さんにお話をうかがう(後半)はこちらからご覧ください。

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